君がたとえドブ塗れで抱きしめてと言ってきたとしても、僕は何の躊躇いもなく君を抱きしめるだろう

 

僕はたまに

真実の愛について考えます。

 

それは

仕事でクレームを受けてやるせない夜

 

サボってる公園で無邪気にはしゃぐ子供たちを見た時

 

世間が華金で盛り上がる中、予定のない金曜日に

 

考えます。

 

 

 

要するに

病んでる時に考えます。

 

 

20代前半の頃

 

巨乳が好きでした。

 

いや、今も好きか、、

 

とにかく理想像がありました。

 

自分はこんな人が好き

あれやこれや並べて理想の女性で盛り上がりました。

勝手に。

 

 

20代後半になった今

少し変化を感じます。

 

今、自分が考える真実の愛とは

 

その人の欠点すらも愛おしい

 

と思えるということなのではないかと思います。

 

キリスト教

合同結婚式と言うものがあります。

 

その日に、結婚すると決めた男女が一同に会し

神父が神の啓示を受け

カップルを決めるというものです。

 

その2人の間には愛はなく

結婚を決められ

そこからお互いのことを理解し愛を深めていく。

 

一般のカップルでは

始め盛り上がり徐々に相手の嫌なところが見つかって破局するということがよくありますが

 

キリスト教では離婚はタブー視されているため

欠点も全て受け入れ

愛を育んでいくことになります。

 

 

なんて素晴らしいことか!

 

 

 

僕は無理だけど。

 

 

ただ、長く付き合えば見えて来る欠点に

苛々して不満を募らすのではなく

そこすらも愛おしく思えるような相手が良いなぁと思います。

 

 

 

良い香りじゃなくて汗の匂いが漂ってきても

 

ブクブク太ってなんの料理も作ってくれなくなっても

 

優しかったあの笑顔はいつの日かの遠い過去の記憶になったとしても

 

 

ただただ君が愛おしい

 

 

と微笑んで受け入れられる。

 

そんな愛を見つけたい。

それこそが真実の愛なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

果たして

これは何の発表なのでしょうか。

 

 

華金に光あれ。

終わり。